神ノ影ノ流は、江戸初・中期にかけ九州・関西地区に生き続け、十七代幸影(吉田長次郎)の時代兵庫県堺にこの神影流を正しく伝承。二十二世圭祥(中島勝次郎)の時宰相・西音寺公の秘書に任命され世に知らされたのは周知の通りであります。 二十二世圭祥は、明治・大正・昭和・三時代に渡っての武道家であり憂国の志であった。又、九峰の名で中華民国の父「孫文」の最高顧問であった事は有名である。 長男二十三世芳勝(中島勝)─次男二十四世、勝雲(中島将弼)が陸軍戸山学校武術教官をされ、同時期麻布に皇国国民錬成道場・双竜館を設立、二十四世はこの神影流をもって実践的居合・神心無想流流祖・接近格闘柳心体術開祖となる。そして昭和二十七年、綜合武道柳心館道場を建設・戦後の荒廃した時代に、日本武道精神をもって数多くの門下生を育成世に大いに貢献され、神影流の存在感を示し、二十五世勝峰(豊島一虎)に継承される。
愛洲移香(影流初祖)未流称愛洲影流武備志有影之称
帷脩(愛洲小七郎)
秀継(上野国大胡城主・上泉武蔵守)
信綱(神影流初祖・上泉伊勢守)
二代宗冶(神後伊豆守)
三代時忠(福崎務斉)
四代家次(斉藤半左衛門)
五代良屋(柳沢丞左衛門)
六代重奥(鈴木太左衛門)
七代茂貞(大塩与左衛門)
八代芳充(大塩与左衛門)
九代芳高(大塩与左衛門)
十代信順(山高沢右衛門)
十一代信篤(山高沢右衛門)
十二代貞綱(渡辺三之右衛門)
十三代勝重(丸山加左衛門)
十四代政直(丸尾与左衛門)
十五代政明(中根庄兵衛)
十六代清丸(三村儀兵衛)
十七代幸影(吉田長次郎)
十八代正勝(吉田長次郎)
十九代美勝(吉田長次郎)
二十代宗勝(中島竹蔵)
二十一代岩勝(中島岩吉)
二十二代圭祥(中島勝次郎)
二十三代芳勝(中島勝)
二十四代勝雲(中島将弼)
二十五代勝峰(豊島一虎)